大正15年9月11日 豪雨災害

概要

気象の状況

大正15年9月11日に発生した豪雨は,広島市を中心に周囲約10kmの非常に狭い地域を襲い,広島測候所では,総雨量357.5mmを記録し,観測史上最大の降雨となった。大雨のピークは午前1時から6時までの5時間で,最大時間雨量79.2mmで5時間の時間雨量の合計は322.8mmという記録的なものであった。広島周辺では,厳島で総雨量285.2mm,廿日市で248mmに達している。(広島県気象年報大正十三年〜昭和四年,広島測候所)


降雨量-グラフ

被害の状況

「広島湾岸地域の山津波災害(天満富雄,地理学第18号1972年)」によると,この大雨により,広島市安佐南区祇園の山本川で発生した土石流災害により死者24名の被害が発生した他,広島市東区から安芸区に跨る呉娑々山周辺で土石流が多発し,一ヶ谷川他(向陽町)で死者3名,温品川(温品町)で死者4名,畑賀川(瀬野川町)で死者69名(後日の鉄道事故による死者23名を含む),榎木川(府中町)で死者3名の被害が発生している。

山本川の被害

祇園町史によると,山本川は過去から水害があったことが記録されている。嘉永三年六月1日,明治三十八年六月二十日の豪雨は大きな被害であったが,中でも大正十五年の災害は語り継がれている。山本村水害写真帳によると,本災害は,「潰滅的な惨禍が襲来」して,「或は再び起つこと能わざるが如き莫大なる損害と多数の犠牲者」をもたらした「一大痛恨事」と記録されている。主な被害は,死者二十四名,負傷者二十一名,流出家屋二十一戸,半流出家屋十六戸となっている。

温品村の被害

安芸町誌下巻によると,9月11日の災害は,「古今未曾有の大水害」で,温品村を「全村僅かに二○八戸に減少して安芸郡で最小の村」とするほどの大損害を与えたとされている。昭和5年に建立された水害碑には次の碑文が記されている。


水害碑

大正十五年九月十一日午前二時古今未曾有之大驟雨俄然襲来山林数百箇所條刻崩壊岩石土砂樹木流来圧村内濁水滔々達檐橋梁墜落人家漂湯全村忽化一大修羅場求救声破暗而事属不意無救援防禦之術惨憺之状実絶言語矣茲記被害概数以備不忘伝爾死者四名負傷者一名住家流亡壊破六十三戸非住家流壊五十二棟道路決潰埋没一千三百五間耕地流亡埋没四拾五町九段歩河川埋没千二百間堤防及河岸決潰二千四百間橋梁全村不余一橋家畜禽溺斃数百頭此物質損害時価約五十万年

大正十五年九月十一日 洪水

昭和五年九月十一日 建之